こども英会話の営業

フルコミッション(完全歩合制)の教材販売会社をなくなくたいしょくしたものの・・・、

「営業」というものがなんとなくわかりかけていた(と思っていた)当時の私は、

代行業者などで深夜のアルバイトをしながらも、「次の仕事も営業で」と思いながらも、

さすがに、毎日の生活のこともあるので、「基本給がしっかりもらえるところはないかな?」

とおもいながら、就職情報誌を読みあさっていたあげくに、ついに発見!

「基本16万円+歩合給、月収40万も可!」

相変わらず懲りない私は仕事の内容もよく確かめずに、速攻で電話して、翌日に面接。

このときも、即日採用となりました。

面接の時に、はじめて仕事内容について知ったのですが・・・、

ある大手の子ども英会話スクールが宇都宮に進出するというので、その立ち上げのスタッフとして

営業をやっていただきたい、ということでした。

一緒に採用になったメンバーを見てみると、結構有名大学出身のバリバリのもと商社マンとか、

かなり厳選されたメンバーのようでした。私が即日採用になって理由は、履歴書に書いた退社した教材会社の

名前と、2年間そこで勤務したという実績が買われたそうです。

「基本給がある営業なんて余裕だぜ!」などと、甘く見ていた私がバカでした。

以前いた教材会社と違って、ここは名簿がないのです。市役所の住民票閲覧をやっていなかったのです。

すなわち、どこに対象となるお子様がいるか分からないという状態の飛び込み営業。

とにかく、手当たり次第、1件1件、「うちは子どもなんかいないよ!」と怒られながらの訪問営業でした。

基本給が保証されるということは、その分拘束力があるというか、

以前の会社では割と自由に営業させてもらってたのですが、今回はそうはいきませんでした。

ある時は、アンパンマンの着ぐるみを着せられ、風船持って町中を練り歩いたり、

トレードマークであったリーゼントの髪型をむりやりストレートに直させられたりと、

かなり屈辱的な毎日だったのでした。

当然、本人がいやいややっている仕事なので、営業といっても全く生徒が集められず、

会社のお荷物のような存在で、給料ドロボーのような状態の死人のような日々が続きました。

そして、基本給だけでは当然借金も返せないので、8時に退社した後、9時から代行運転手という

平均睡眠時間4時間の生活を送っていたあの頃・・・。

そして、いつしか、ずーっと押し殺してきた気持ちがついに全面に出てくるようになりました。

「塾の世界に戻りたい・・・。」

「もういちど、生徒の前に立って授業をやりたい・・・・。」

そう思いながら、自宅にある問題集や参考書を引っ張り出しては、

意味のない教材研究をしている26歳の私でした。・・・・・・・・・・・・(つづく)

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